今日は、市内中学校の卒業式。私は、七中に来賓で参加です。第10回目の卒業式。
我が家の子ども達も、第一回、第三回、第六回の卒業生で、当時は七中に行く機会も多かったものでしたが、今では、卒業式ぐらいになってしまいました。
卒業式では、万世小から七中に上がった子ども達の何人かを見かけました。みんな大きくなったものです。
式の間、思い浮かんだのは、自分の中学の卒業式間際の頃のことでした。
千代子さんと信広くんのことでした。
千代子さんは、私と同じ部落の同学年の幼なじみの子です。同学年は、みねこさん、まりこさんと千代子さん、そして私の四人。小学校の頃は、いつも行きも帰りも、三人の女の子と私の四人でした。
高校受験の3月10日は、みねこさんとまりこさんと私は、みねこさんのお父さんの車に乗せてもらって、市内の高校へ受験に行きました。そして、4月には、それぞれ高校に進学しました。
千代子さんは、中学を出ると東京へ行きました。確か卒業式を終えるとまもなくのことだったと思います。
みね子さんは、市内に嫁いでいて、時々お会いする機会があります。まり子さんは、福島県に嫁いで看護婦をしています。一度、大学生の頃に、盲腸で入院したら、その病院で看護師として働いていたまり子さんが病室に突然顔を出し、驚いたことがありました。まり子さんには、それ以来、合う機会はありませんが、お元気と聞いています。
千代子さんには、卒業式の日以来、お会いする機会もないままです。東京の親戚の家から働きながら看護師になられたと聞いています。
中学を出てすぐに東京に行く千代子さんに「さよなら、元気で」と一言えなかった、思いやれなかったあの時の自分を悔いています。
信広くんとは、中学二年と三年同じクラスでした。私の家の向かいの部落が彼の家で、三年生の部活が終わる頃からは、卒業式の日まで毎日一緒に帰っていました。
現在の七中の前を通り、工業高校のあたりにあった農道まで来て別れるのでしたが、普通に歩けば、10分ほどの帰り道を1時間近く、クラスであったことや、高校受験のことなど二人で話しながらの帰り道でした。
信広くんは、高校を出て、名古屋に就職、それ以来お会いする機会がないままです。彼にも「さよなら、元気で」と言っていなかったことを悔いています。
さて、議会の予算委員会も後半戦です。昨日は、国産木材を使用して建設した万世コミセンと梓山第二公民館を紹介しながら「国産木材を公共施設に使用するように」と求めたところでした。
