24日付け、山新夕刊に「やまがた近代化産業遺産」の連載が始まった。経産省が07年、08年に全国の物件を認定した。連載は、米沢市の板谷峠のスイッチバック遺構からだ。
今年三月、文化課が市民からの「平成22年度米沢市協同モデル提案」を受けて「事業化」、パンフレットにし上げた「米沢の近代化産業遺産」を発行した。
97年から足かけ3年あまり、「駅東の転車台・機関車庫」保存運動を続けた。その運動の中で、パンフレット編集にあたった粟野氏の調査・研究と進み、その成果が「スイッチバック遺構」の認定に大きく貢献した。
当時、県は、全国からはだいぶ遅れて、県内の近代化産業遺産の調査に入ろうとしていた時だった。米沢市当局には、何度も、その価値を訴え、「保存・活用」を求めた。結果、不幸な「事故」(積雪による倒壊)で機関車庫は消失した。行政当局が、その価値を認めようとする姿勢があったなら、防げた「人災」であった。
そのことをしっかり肝に銘じてほしい。
そして、パンフレットに仕上げられた粟野氏にあらためて敬意を表したい。